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この動画では1972年頃のDD51本務機と後補機D51で、大畑ループを越える肥薩線貨物列車の姿をイメージしました。当鉄道のジオラマは複線かつ勾配が無い平坦線ですがご容赦ください。肥薩線は下り列車は、人吉駅を出るとやがて25‰の勾配となり、登りきるとスイッチバックの大畑駅です。
発車は一旦バックし、今度は真幸駅に向け山越えの大きなループ線の山の中を進みます。ここでは当時列車のほとんどが「混合列車」でした。
肥薩線(ひさつせん)は、熊本県八代市の八代駅から鹿児島県霧島市の隼人駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)であ。八代~吉松間には吉都線吉松~都城間と合わせて「えびの高原線」の愛称が付けられています。
熊本・宮崎・鹿児島のいわゆる南九州3県を縦貫する唯一の鉄道路線です。鉄道作業局の手により、1901年(明治34年)に開通していた鹿児島線の鹿児島 ~隼人間から続く形で工事が始まり、1903年(明治36年)に吉松まで開通しました。八代側からは1908年(明治41年)に人吉まで開通し、翌1909年(明治42年)に人吉~吉松間が開通して八代~鹿児島間が鹿児島本線として全通しました。1927年(昭和2年)に、八代~鹿児島間の海岸沿いに新線が開業すると、元の区間は旧肥後国と旧薩摩国を結ぶことから「肥薩線」と改められました。さらに、1932年(昭和7年)に隼人~鹿児島間が日豊本線の一部となったため、残る八代~隼人間は、その路線名にも関らず、旧薩摩国を通らないこととなりました。ただし、吉松~隼人間は旧大隅国に属していましたが、大隅国も薩摩藩の領地ではありました。
1974年(昭和49年)から1980年(昭和55年)までは、博多から宮崎間の特急「おおよど」、1959年(昭和34年)から2000年(平成12年)まで熊本~宮崎間の急行「えびの」(当初は準急)が経由し、吉都線とともに中九州と南九州を結ぶ役割を担っていました。このほか、国鉄時代は門司港~人吉間に夜行列車が設定され、夏季や冬季の連休シーズンに不定期列車として大阪~人吉間に急行「ひとよし」が運行されていました。
JR九州管区内で最多を数える木造駅舎や球磨川沿いの景観、山間のループ線、スイッチバックなど見所満載の路線です。「えびの」廃止以後、特に利用者の少ない人吉~吉松間については廃止の可能性も取り沙汰されていましたが、2004年(平成16年)3月13日の九州新幹線部分開業を期に、これらの観光資源に着目し、観光路線としての整備が進められていました。近年では「SL人吉」「いさぶろう・しんぺい」「はやとの風」などの観光列車の導入が行われており、現在では周辺住民の利用とともに観光利用も多く、南九州の観光資源の一つとして定着していました。
しかし、2020年(令和2年)7月4日、「 令和2年7月豪雨」の影響で、球磨川第一・第二球磨川橋梁等の多くの設備が冠水及び流失するなどの被害が発生し、八代~吉松間で不通となり、未だ復旧されていません。そのような中、2022年(令和4年)3月21日 特急「はやとの風」の運行も終了してしまいました。