Nゲージ なまら鉄道 新幹線前夜

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上本線&上山線の情景~1960年代初頭風味
1964(昭和39)年の東海道新幹線開通を控え、在来線の隆盛は最高潮に…

-BGMについてー

「線路はつゞくよどこまでも」※
原曲はアメリカの労働歌ですが、1962(昭和37)年にNHK「みんなのうた」で、原曲とは全く異なる独自の歌詞をつけてマーチ調に編曲したものが放送されると、たちまち人気となり国民的ホームソングの地位を確立しました。(※「つゞくよ」は楽譜に記載のタイトルで、「つづくよ」が正しいともいわれている)
その後、リメイク版や様々なカバーのメディアがリリースされますが、オリジナルのテレビ放送用マスター映像は消失してしまい、21世紀に入ってNHKが行った「発掘プロジェクト」でもコピー・断片すら見つかっていない幻の存在となっています。
この幻の映像は国鉄協力のもと制作された実写で、東海道本線で営業運転中の151系特急電車を中心に、運転室内の撮影や、東京駅とその周辺、根府川~湯河原沿線などでのロケが行われ、他に準急電車の運転室から走る線路の撮影なども行われました。
放送後に音楽出版社からリリースされたメディアには、線路際に並んだ子供たちが、走りぬける特急電車に手を振る姿のスチールなども使われました。
NHK「みんなのうた」は、1961(昭和36)年から現代までつづく超長寿番組で、放送された楽曲は1500曲以上に及びます。
初期の頃に放送されたものには、この「線路は~」の様な、原曲とは趣の異なる歌詞をつけたり、複数ある歌詞をチャンポンした訳詞をつけたり、意味をもたないハミングや耳コピ・オノマトペ的なフレーズを多用したり、といった替え歌的な海外楽曲が多く存在します。「アルプス一万尺」「おお牧場はみどり」「クラリネットをこわしちゃった」「だれかが口笛ふいた」などなど… 原曲表記は外国の民謡とされましたが、実態は軍歌・軍楽曲、労働歌なども多く、およそ子供向きではない歌詞を全く塗り替え、合唱団の子供たちに歌わせてフレッシュ&瑞々しさを前面におしだしたリリースの様は、当時それまでの武骨なSL主体の無彩色的コンサバ鉄道観を無きものにせんとばかりに、カラフルな軽快列車を矢継ぎ早にデビューさせながら、「夢の超特急」=新幹線建設に邁進していた国鉄も然り、まさに世間全体が「いけいけどんどん」な時代を象徴するものでした。

「ハイケンスのセレナーデ」
20世紀前半の作曲・演奏家であるジョニー・ハイケンスは、オランダ人ですがナチス党を熱烈に支持しドイツで活動していたため連合軍に拘束・収監され獄死。世界の音楽史からは、黒歴史として楽曲もろとも抹殺されてしまいました。
日本では、太平洋戦争中にNHKラジオの出征兵士向け国際放送番組「前線に送る夕(ゆうべ)」のOP曲として、この「セレナーデ(Ständchen, Op.21-1)」が使われてメジャー化しました。
戦後も「戦死した家族を思い出す哀しき追憶の曲」として取り上げられることが少なくなく、戦争の悲哀・虚しさの象徴となっていったのですが、そのイメージとはうらはらな軽快な小夜曲のためか、小学校の音楽教材や、学校行事放送用メディア(給食時BGMなど)に採用されるなどして独自に存続してきました。
そして国鉄では、昭和30年代の車両近代化の一環で車内放送チャイムを搭載するにあたり、鉄道に纏わる楽曲や海外のクラシック・民謡などから選曲される中、この曲も採用されることになります。その経緯は今となって知る由もありませんが、当時の人々の耳から離れない旋律だったのでしょう。
とはいえ、前線に銃後の激励・慰問を伝え、戦意高揚と全国民総力戦意識の醸成を企図した番組のテーマ曲を、敗戦後の時代に再びメジャー化させるとは…
「もはや戦後ではない!」… パチンコ屋では豪快に「軍艦マーチ」をかけまくり、ノリよくいければ何でもよしの「じゃんじゃんばりばり」な時代でした。

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