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この動画では1970年9月頃の鹿児島本線全線電化直前の「急行かいもん」上り3号西鹿児島発門司港行きの姿を再現しました。DD51は鳥栖~西鹿児島間の担当でした。
DD51形ディーゼル機関車は、国鉄によって1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)にかけて製造された液体式ディーゼル機関車です。
幹線から蒸気機関車を廃する「無煙化」を推進するため、1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)までの16年間に649両が製造されました。
本線用として先行して導入された電気式のDF50形は、亜幹線の無煙化の面では好評でしたが、出力の不足や故障の多さ、価格の高さが欠点とされていました。DD51形はこれに代わる本格的な幹線用主力機として開発された液体式ディーゼル機関車であり、速度面では旅客列車用大型蒸気機関車C61形を、牽引力では貨物列車用大型蒸気機関車D51形を上回る性能をもつように設計されました。
本形式の登場後も、より大出力のエンジンを1基装備したDD54形や軸重を軽減したDE50形など、幹線・亜幹線用のディーゼル機関車が開発・製造されましたが、前者は不調続きで短命に終わり、後者は電化の進展で投入する機会が得られず、試作機のみで終わりました。その結果、合理化推進のための車両「標準化」により、性能の安定したDD51形のみが長期量産・運用されることになりました。
本形式は、最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化を推進しました。一方、本形式の導入によって高い人気を博していた蒸気機関車が続々と廃車に追いやられたことから、愛好家には「赤ブタ」「文鎮」「ダメデゴイチ」と揶揄されることもありました。
電化の進展と客車・貨物列車の減少により、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化までに約60%が余剰廃車され、JR各社にはDD51 593以降の完全重連形のみの259両が継承されました。
急行「かいもん」は北九州方面~西鹿児島(現・鹿児島中央)を結ぶ急行列車として1993年3月18日改正まで活躍しました。愛称は薩摩富士としても知られる開聞岳(かいもんだけ)から採られました。
キハ55系気動車で準急「かいもん」としてスタートし、1966年に急行格上げ、1968年に客車編成の夜行列車を加え、1970年鹿児島本線全線電化により昼行便は475系電車化された鹿児島本線の準エース級の列車でした。特急有明が登場した1968年10月改正までは準急→急行ながら寝台特急はやぶさ号よりも速く博多~西鹿児島を結んだことで高い人気の列車でした。
1970年代半ばになってくると特急有明がすっかり主役の座を奪っていったため徐々に数を減らし、1980年10月1日改正において夜行列車1往復が門司港~西鹿児島間に残り、その状態が12年以上続くことになりました。20系+12系、その後20系に替わって24系25形が使用され、急行としては比較的恵まれた車両運用がなされていました。
1993年3月18日改正で惜しまれつつ姿を消しました。